朝ドラ・エールの関内音(二階堂ふみ)は主人公の古山裕一と結婚するエールのヒロインです。
音は実家で両親と三姉妹の家族5人で幸せに暮らしていましたが、音と裕一が結婚するまでの間には様々な困難に遭遇してしまいます。
音のモデル人物や、豊橋市で馬具の製造販売を生業としていた関内家の仕事についても気になるところですね。
そこで今回は、朝ドラ・エールの関内音(古山音)のモデル人物は誰なのか、父の仕事や実家の商売についてもまとめていきます!
朝ドラ・エールの関内音(古山音)のモデル人物は誰?
音は朝ドラ・エールのヒロインで、エールの主人公の裕一と結婚し妻となる人物です。
裕一の妻となる人物ということは、音のモデル人物は裕一のモデル人物である古関裕而さんの妻だった人物ということになりますね。
ここからは、音のモデル人物についてまとめていきます。
音のモデルとなった人物は古関金子(こせききんこ)
関内音(古山音)のモデル人物は、声楽家で詩人の古関金子(こせききんこ)さんです。
朝ドラ・エールの音は主人公である古山裕一の妻ですが、金子さんは裕一のモデル人物である古関裕而さんの妻だった人物です。
金子さんはエールで音がオペラ歌手を目指していたように、声楽教師について歌の勉強を始め、その後は音楽学校の声楽部本科で本格的に声楽について学んでいました。
音のモデル人物・古関金子のプロフィール
金子さんは、愛知県渥美郡高師村(現・豊橋市)の内山家に六女として1912(明治45)年に誕生します。
オペラ歌手を目指していた金子さんは、1930(昭和5)年1月に古関裕而さんが国際コンクールで入賞した新聞記事を読み手紙を書いたことがきっかけで、ふたりの遠距離恋愛がスタート。
結婚後上京し、古関裕而さんが日本コロムビアの専属作曲家となり金子さんは帝国音楽学校の声学部本科に編入し本格的に声楽の勉強を始めます。
金子さんの声楽の才能は絶賛されるものでしたが、2人の娘の子育てに専念するため学校を中退しました。
その後は戦前のオペラ、オペレッタに出演し、戦後にも長男を出産後にオペラに出演するなどプロの歌手として活躍していましたが、1980(昭和55)年7月23日に乳がんが全身に転移したことで68歳で死去したそうです。
音のモデル・古関金子の父や実家の商売はドラマと同じ?
朝ドラ・エールで音の父である関内安隆・せきうちやすたか(光石研)は、元陸軍の獣医で、生前は陸軍で乗馬の道具を卸す仕事をしていましたね。
音の実家は「関内馬具店」の経営していたため、そこで雇われている馬具職人が馬具の製造をし、音の父は職人に馬具の提案や仕事の指示を出したり時には陸軍の施設を訪れて商談するなど家業の経営全般をしていました。
では音のモデル人物である古関金子の父や実家の商売もドラマと同じだったのか、調べてみます。
古関金子の父と職業
金子さんの父である安蔵さんは、1872(明治5)年5月1日に内山家の長男として愛知県新城市に誕生しました。
陸軍の獣医部に勤めていた安蔵さんは、陸軍の職業軍人となって豊橋に渡り、そこで金子さんの母となるみつさんと結婚したといわれています。
陸軍の獣医部を退役した後の安蔵さんの職業は、馬の蹄を保護するために装着する蹄鉄や馬具、蹄油などの物資を豊橋市に駐屯していた陸軍に納入する「内山安蔵商店」の経営でした。
しかし安蔵さんは、金子さんが12歳だった1924(大正13)年10月3日に死去してしまいます。
安蔵さんの死去後は、金子さんの母親であるみつさんが子育てをしながら家業を引き継いでいたそうです。
古関金子の実家の商売は音と同じ?
金子さんの実家で父親が経営していた内山安蔵商店は、「馬具店」という名前はつきません。
しかし、仕事の内容は音の実家である関内馬具店が行っていた馬具の製造・販売と同一だといえますね。
このことから古関金子さんの実家の商売は音の実家の商売と同じだといえるのではないでしょうか。
まとめ
音は朝ドラ・エールではヒロインとしてとても重要な人物で、モデル人物の古関金子さんの生涯とかなり近い形で演じられていることがわかりました。
その音の実家である関内家が経営している関内馬具店は、馬具職人によって支えられていましたが、関内家は3人娘ということで誰かがお婿さんをもらい後を継ぐことになるのではと関内家の今後も気になります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
コメント
「小山」ではなくて「古山」ですよー。
ご指摘いただきありがとうございます。
訂正いたしました。