朝ドラ・エールで校歌を依頼した小学校・モデルはどこ?古関裕而作曲の大学や高校も

エール

6月8日(月)第51回の放送では、生後4ヶ月の娘華と共に幸せに暮らす古山裕一と古山音、そこに裕一の恩師である藤堂清晴先生(森山直太朗)から1通の手紙が届きます。

そこには、福島にある小学校が新しく校歌を作ることになったのでその校歌の作曲を裕一にしてもらいたいという内容が書かれていて、裕一は小学校校歌の作曲をすることに決めました。

そこで今回は、朝ドラ・エールで藤堂先生が裕一に校歌を依頼した小学校やそのモデルはどこなのか、また裕一のモデルである古関裕而が作曲した他の校歌についてもまとめていきます!

朝ドラ・エールで藤堂先生が裕一に校歌を依頼した理由とは?

藤堂先生が裕一に福島の小学校校歌の作曲を依頼したのは、裕一が作曲した「船頭可愛いや」が大流行したことで作曲家古山裕一の名前が世に知れ渡ったことが一番の理由ではないかと考えられます。

校歌は、学校の創設についての考え方をうたうものでそれにより精神や気分を高めるために制定した歌のことです。

学校の各式典や祭典で校歌が歌われることからも、校歌とは学校の中では重要な役割を果たしているといえます。

その校歌を作曲する作曲家が無名では、裕一がいくら藤堂先生の教え子だったからとはいえ周囲からの反対があってもおかしくありません。

裕一が作曲した「船頭可愛いや」が大流行したことで、作曲家古山裕一の知名度も上がり、学校で重要な校歌を作曲するに恥じない作曲家として認められたと言えるのではないでしょうか。

朝ドラ・エールで藤堂先生が裕一に校歌を依頼した小学校やそのモデルはどこ?

朝ドラ・エールで藤堂先生が裕一に宛てた手紙には「福島の小学校」としか書いておらず、どこの小学校のことを指しているのかとても気になりました。

藤堂先生から届いた封筒の中には、裕一に宛てた手紙の他にもう一通同封されていたので、たぶんあれが校歌の歌詞だったのではないかと思われます。

するともう一つ気になるのは、作曲は裕一に依頼をした藤堂先生でしたが作詞は誰がしたのかということですね。

ここからは裕一が校歌の作曲を依頼された「福島の小学校」のモデルはどこなのか、また「福島の小学校」の校歌の作詞は誰がしたのかについても調べていきます!

校歌を依頼した小学校はどこなのか?モデルの小学校についても

作中で藤堂先生が裕一に校歌の作詞を依頼した小学校は、福島吾妻尋常小学校です。

では、福島吾妻尋常小学校のモデルとなっている小学校はどこなのでしょうか?

藤堂先生のモデルである遠藤喜美治さんと古山裕一のモデルである古関裕而さんの関係から、福島の小学校の校歌について書かれたものを2つみつけましたのでまとめてみます。

【森尋常小学校(現在:福島市立大森小学校)】
1929年に作詞は遠藤喜美治さん、作曲は古関裕而さんで校歌を作ったそうです。

【要田国民学校(現在:福島県田村市立要田小学校)】
遠藤喜美治さんの母校である小学校を作曲した史実があるそうです。
こちらも、作詞は遠藤喜美治さん、作曲は古関裕而さんで校歌を作ったそうです。

今回のエピソードがどちらをモデルにしたものかはわかりませんが、どちらもエールの登場人物のモデルである遠藤喜美治さんと古関裕而さんが関わっていることなだけに、可能性としては高そうですね。

福島吾妻尋常小学校の校歌の作詞をしたのは誰?

今回のエピソードのモチーフと思われる2つの小学校の校歌は、ともに作詞は遠藤喜美治さん、作曲は古関裕而さんとなっていました。

そのことから、校歌の作詞は藤堂先生がした可能性が高いのではないでしょうか!

作詞家と作曲家は話題になるものなので、今後話が進むにつれて藤堂先生が裕一に作曲を依頼した校歌の作詞をした人物についても明らかになることに期待が高まります。

朝ドラ・エール裕一のモデル古関裕而が作曲した他の校歌はあるのか?

裕一のモデルである古関裕而さんは、小学校だけでなく中学校、高等学校、大学など様々な学校の校歌を作曲しています。

それも古関裕而さんの出身地である福島県に限らず、全国各地の学校の校歌を作曲しているそうです。

  • 横浜市立大学校歌
  • 宮城県築館高等学校校歌
  • 福島県立福島商業高等学校校歌
  • 福島県立会津高等学校校歌
  • 福島県立原町高等学校校歌
  • 福島県立平工業高等学校校歌
  • 茨城県立取手第二高等学校校歌
  • 千葉県立国府台高等学校校歌
  • 國學院大學久我山高等学校校歌
  • 東京都立工業高等専門学校校歌
  • 日本航空高等学校校歌
  • 静岡学園高等学校校歌
  • 愛知啓成高等学校校歌
  • 福井工業高等専門学校校歌
  • 広島県立呉三津田高等学校校歌
  • 香川県立善通寺第一高等学校校歌
  • 大牟田高等学校校歌
  • 東福岡高等学校校歌
  • 福岡県立戸畑高等学校校歌
  • 福岡県立八幡工業高等学校校歌
  • 長崎県立国見高等学校校歌
  • 鹿児島県立大口高等学校校歌
  • 二本松市立二本松第三中学校校歌
  • 阿見町立朝日中学校校歌
  • 日光市立日光中学校校歌
  • さいたま市立東浦和中学校校歌
  • 八潮市立八潮中学校校歌
  • 鶴ヶ島市立鶴ヶ島中学校校歌
  • 國學院大學久我山中学校校歌
  • 静岡市立安東中学校校歌
  • 愛知県西尾市立吉良中学校校歌
  • 京都市立加茂川中学校校歌
  • 宮津市立宮津中学校校歌
  • 大牟田中学校校歌
  • 大多喜町立大多喜小学校校歌
  • 東京都世田谷区立経堂小学校校歌
  • 東京都大田区立徳持小学校校歌
  • 東京都板橋区立成増小学校校歌
  • 町田市立町田第一小学校校歌
  • 藤沢市立藤沢小学校校歌
  • 京都市立紫竹小学校校歌
  • 小牧市立小木小学校校歌
  • 北九州市立熊西小学校校歌
  • 福岡県福岡市立高宮小学校校歌
  • 府中市立府中学園校歌

まとめ

今回久しぶりの藤堂先生の登場でしたし、それも恩師である藤堂先生からの小学校校歌作曲の依頼ということで、裕一と音の夫婦での作曲シーンもありましたね。

裕一のモデルである古関裕而さんを調べてみると、今回のエピソードのように校歌の作曲も数多く手掛けていることを知り、有名作曲家である一方で学生にも身近な存在だったということがわかりました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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