朝ドラ・エールでは、放送の再開にともなって今後の新キャストも紹介されましたね!
その紹介された新キャストの一人に、長崎の医師である永田武(ながたたけし)という人物がいました。
永田武は、原爆投下直後の長崎で被爆者の治療を行う医師として登場します。
そこで今回は、朝ドラ・エール永田武役(ながたたけし)は誰なのか、俳優・吉岡秀隆(よしおかひでたか)の演技力や出演作品についてもまとめていきます!
朝ドラ・エールの永田武(ながたたけし)とは誰?どんな人物か?
永田武は、原爆投下直後の長崎で被爆者の治療を行う医師です。
激動の時代をむかえた古山裕一(窪田正孝)は、戦時中に出征する兵士やそれを見送る家族の心に寄り添った軍歌や軍事歌謡を次々と作曲し、世に送り出していました。
裕一が作曲した歌にはたくさんの人の心を一つにする力があると言われますが、裕一や裕一を取り巻く人々の間では、歌が戦争で戦うための道具になっていることに対する葛藤も起こります。
そんななか、裕一も戦争が悪化する中の音楽慰問でビルマの戦地に向かうこととなりました。
その後日本は敗戦し、裕一は自分の曲で励まされていたはずの若者たちが戦場に散ってしまったという現実と向き合い後悔します。
戦争により痛みを知った裕一は、同じように戦争で傷ついた人々を応援する音楽を作曲していきました。
そんな裕一と医師の永田武は、永田の著書である「長崎の鐘」をきっかけに出会うこととなります。
平和への祈りを込めて戦禍に巻き込まれた人々を励ますために作られた「長崎の鐘」という歌は、裕一と永田の出会いにより誕生する曲です。
朝ドラ・エールの永田武のモデル人物は医師の永井隆!
永田武のモデル人物は、長崎県の医師であった永井隆(ながいたかし)さんです。
永井さんは、1908(明治41)年2月3日に島根県松江市に5人兄弟の長男として誕生しました。
父が医師をしている家庭で育った永井さんは、1928(昭和3)年3月に松江高校を優等で卒業し、その後長崎医科大学(現在:長崎大学医学部)に入学します。
大学卒業後は内科を志望していた永井さんですが、急性中耳炎がきっかけで健康を取り戻した後も右耳が不自由になり、内科をやめて物理的療法科(レントゲン科)で放射線医学を先行することになりました。
1933(昭和8)年2月1日には広島歩兵連隊に幹部候補生として入隊し、短期軍医として満州事変に従事した後、1年後に出征から帰還、大学の研究室助手に復帰します。
1937(昭和12)年に長崎医科大学の講師に就任しますが、同年7月に日中戦争が勃発してまもなく第5師団衛生隊の隊長・軍医中尉として出征し、河北・河中・河南で計72回の戦闘に従軍することとなりました。
現地では日本軍だけでなく中国人への医療にも従事し、現地の知事から感謝の印として対幅の書を贈られたそうです。
1940(昭和15)年2月に日本に帰国後は功績により功五級金鵄勲章を受章、同年4月には長崎医科大学助教授・物理療法科部長に就任し、1944(昭和19)年3月3日には「尿石の微細構造」で医学博士号を授与されました。
1945(昭和20)年6月には、戦時中に従事していた結核のX線検診のフィルム不足での透視による診断を続けたことを原因として、被爆による白血病と診断され余命3ヶ月の宣告を受けています。
さらに同年8月9日に長崎市に原子爆弾が投下され、爆心地から700メートルの位置にある長崎医科大学の診察室にいた永井さんは被爆し、自身も重傷を負いながら救護活動にあたりました。
何度か昏睡状態に陥るものの奇跡的に乗り越え1946(昭和21)年1月28日に長崎医科大学の教授に就任しますが、同年7月に長崎駅近くで倒れた後病床に伏すことになり1949(昭和24)年9月30日に長崎医科大学の大学教授を退官します。
1951(昭和26)年2月には白血病により白血球数が39万を超えて危険な状態となったが、医学生に自身が死ぬ前に白血病の最終段階を見せて病気の知識を深めるのに役立てたいと5月1日に長崎大学附属病院に入院。
入院した当日に息を引き取り、翌日の5月2日には遺言により遺体の解剖が行われたそうです。
永井さんの著書である「長崎の鐘」が発行されたのは1946(昭和21)年で、そこには自身が被爆した時の状況や重症を負いながらも被爆者の救護活動にあたる様が記録されています。
1949(昭和24)年7月に「長崎の鐘」をモチーフとした、サトウハチロー作詞、古関裕而作曲の歌謡曲が発売されて大ヒットし、1950(昭和25)年には映画化もされました。
朝ドラ・エールの永田武役は吉岡秀隆(よしおかひでたか)!
エールで永田武役を演じるのは、俳優の吉岡秀隆(よしおかひでたか)さんです。
ここからは、吉岡秀隆さんのプロフィールと演技力や評価についてみていきましょう。
永田武役・吉岡秀隆のプロフィール
名前:吉岡秀隆(よしおかひでたか)
生年月日:1970(昭和45)年8月12日
血液型:A型
職業:俳優、ミュージシャン、ナレーター
出身地:埼玉県
所属事務所:Office Bow!
吉岡さんは、株式会社劇団若草に5歳で所属しテレビ時代劇「大江戸捜査網」でデビューを果たしています。
幼い頃の仕事は子役としてだけではなく、子供向けの歌の吹き込みなども行っていました。
映画の初主演は1977(昭和52)年に公開された「八つ墓村」で、主人公である寺田辰弥の少年時代役を演じます。
1981(昭和56))年より2002(平成14)年まで、テレビドラマ「北の国から」に黒板純役でレギュラー出演し、この作品が自身の代表作となりました。
その後2003(平成15)年に主演したテレビドラマ「Dr.コトー診療所」は人気を集め、高視聴率も獲得しています。
俳優として活躍している吉岡さんですが人前で喋るのは苦手だそうで、バラエティ番組やトーク番組にはあまり出演しません。
ちなみに、吉岡さんは朝ドラ(連続テレビ小説)の出演は今回のエールが初出演です。
俳優・吉岡秀隆の演技力
吉岡さんは5歳から子役として活躍していて役者としての経験が長いこともあり、その演技力は素晴らしいものです。
幼い頃から培われた演技力により、今までに吉岡さんが受賞した数々の賞がそれを証明しています。
吉岡さんは、日本アカデミー賞優秀助演男優賞を4回、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を2回も受賞しています。
俳優・吉岡秀隆のみんなの評価
ここからは、吉岡秀隆さんがどのように評価をされているのかをまとめていきます。
吉岡さんが主演を務めたドラマの視聴者からは、演技が上手いと高評価するツイートがありました。
吉岡さんが子役から芸能界で活動していたこともあり、演じた役を吉岡さん自身が成長していると感じた方もいるようです。
同じ髪型をして演じていても、役によってまったく別の人物だと感じさせてくれるのはやはり吉岡さんの演技力が高いからでしょう。
吉岡さんが出演している昔放送されたドラマを観てから、その後も吉岡さんが出演しているドラマや映画も観ているという方も多いようです。
吉岡さんの表情や演技力から観ている側も感情移入してしまう気持ち、わかりますね。
吉岡秀隆(よしおかひでたか)のその他出演作品
ここでは吉岡さんが主演を務めた作品を主にまとめましたが、主演以外の作品でも多数出演されています。
またCMの出演数が多いことから、テレビドラマや映画をあまり見ない方でも吉岡さんを知っている、観たことがあるという方も多いのではないでしょうか。
まとめ
朝ドラ・エールで永田武役を演じる吉岡秀隆さんについてまとめました。
戦争の時代に原爆で被爆した医師を演じるとのことで、シリアスなシーンが多くなるのではと思いますが、吉岡さんの高い演技力に期待するばかりです。
吉岡さん演じる永田武と主人公の古山裕一がどのように関わっていくのかにも注目したいですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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